春の桜にまけないくらい美しい日本の秋の紅葉。
山が色づいていくさまが好きで、秋晴れの日には私も紅葉を見に出かけたくなります。
ところで、紅葉狩りってなぜ「狩り」というのか、ちょっと気になりませんか?
今回はそんな紅葉狩りの意味や由来について、平安時代に遡りくわしくご紹介していきます。
紅葉狩りとはどんな意味?
山々が赤や黄色に色づく秋の美しい紅葉。
日本の四季の素晴らしさを感じる景色ですよね。
そんな秋、紅葉狩りに行くこともあると思いますが、
この紅葉狩りって、どんな意味なのでしょうか。
まず、紅葉狩りの読み方は「もみじがり」
紅葉は「こうよう」とも読みますが、この場合は「もみじ」という読み方になります。
違う言い方では、紅葉見(もみじみ)とか
観楓(かんぷう)とも言われます。
紅葉狩りって何するの?
紅葉狩りとは、山野に出かけて、美しく色づいた秋の紅葉を観賞すること。
「狩り」という言葉が入っていますが、紅葉した枝を折って持ち帰ることではないんですね。
この頃になると、木々の葉がだんだんと黄色や赤に色づいてきます🍁🍂#紅葉狩り の時期がやってきました(๑˃̵ᴗ˂̵)💕紅葉狩りの「狩り」は草花を鑑賞するという意味で、枝や葉を取ることじゃないですよ(*´-`)✨ お土産は、落ち葉を拾って楽しんで下さいね❤️#紅葉シーズン#突入 pic.twitter.com/sPHSjcVdNk
— 暦 花蓮(公式) (@koyomikaren_td) 2017年10月24日
そんな紅葉狩りの楽しみ方はさまざま。
私は、もっぱらドライブしながら紅葉を楽しむ感じですが、美しい山のなかをハイキングしたり、お弁当につめこんだ秋の味覚を味わいながらピクニックしたり。山あいにある温泉につかりながら景色を眺める・・という紅葉狩りの楽しみ方も最高ですね。
さて。美しい紅葉を見に行くのに、なぜ紅葉「狩り」という言い方をするのか。この紅葉狩りという言葉はどのようにして生まれたのでしょうか。
紅葉狩りはなぜ狩りというのか
秋の狩りと言えば、梨狩りやきのこ狩り。
このように「狩り」は食材を採集するときに使ったり、狩猟を意味することもありますよね。
それでは、紅葉狩りは紅葉を観賞するだけなのに、なぜ「狩り」と言うのでしょうか。
狩りとはもともと、鹿や猪などの大型の獣を追い立てて捕まえる意味で使われていました。
それから、野鳥や小動物を捕ることにも意味がひろがり、さらには、魚や貝、山の植物や果物を採ることにも使われるようになっていったのです。
また古くは、611年(推古19年)の5月5日、推古天皇が大和(奈良県)で薬狩りをおこなったという記録が日本書紀に残っています。薬狩りでは、男性は鹿狩りをして角を生薬とし、女性はヨモギなどの薬草の採集をしたのだそう。
5月5日、『日本書紀』によると、推古天皇のときに薬猟が行われたのは、19年と20年と22年。
あとは天智天皇7年にも記述あり。
以後記述はないけれど、薬狩りは宮廷行事となったよう。
そう考えると、ヨモギ餅やら邪気除けの菖蒲湯などもその余波なのかもと思い当たり、感慨深さを感じる。 pic.twitter.com/ym8yzhOfWY
— ハフリーヌ (@hahuriinu) 2019年5月5日
このように「狩り」という言葉は、獲物を捕まえる狩猟になぞらえて、山野に入ってなにかを採ること全般に使われるようになり、自然の美しさを観賞するために山野に入ることにも使われるようになりました。
古語辞典にも “ 狩りとは求めてとったり、鑑賞したりすること ” とあるように、やがて、紅葉や草花を眺めるという意味でも「狩り」が使われるようになり、紅葉を観賞すること=紅葉狩りとなったのではないかと言われています。
また、貴族にまつわる紅葉狩りの由来もあります。
紅葉狩りの由来は?
日本最古の歌集、万葉集にも登場する紅葉狩り。
また、紫式部の源氏物語にも、貴族の雅な遊びのひとつとして紅葉狩りが描かれていることから、紅葉狩りの歴史はとても古く、少なくとも1200年前から紅葉狩りがおこなわれていたことがわかります。
ただ、平安時代には、紅葉はあまり身近で観賞できるものではなく、紅葉を楽しむためには、はるばる遠くの山へと出かけなければ見られないめずらしいものでした。そのころ、狩り(狩猟)をしない貴族たちが登場し、その人たちが山に出かけてゆき、紅葉を見て楽しんだことを「狩り」という言葉を用いて「紅葉狩り」と表現した、という説があります。
また、紅葉を求めてわざわざ山へ入っていた平安貴族たちは、紅葉した枝を折ったり、色づいた葉を収集していました。このように、見るだけでなく実際に手に取っていたことから「紅葉狩り」という言葉が使われるようになった、という説もあります。
そして、平安時代以降、邸宅内に紅葉する樹木を植えて鑑賞するようになると、山野をおとずれ枝を折る風習はなくなり、紅葉狩りという言葉だけが残ったと言われています。
いろいろな説があって、すこしモヤモヤしますが・・
実は、まだもうひとつ怖い伝説があるんですよ。
紅葉という鬼女の伝説も・・
さまざまな説のある紅葉狩りの由来ですが、
鬼女紅葉伝説に由来するという説もあるのです。
それは、長野県の戸隠山に残る伝説。
謡曲「紅葉狩り」のもととなった伝説で、鬼女と呼ばれた紅葉という女性を狩ったことから紅葉狩りと呼ぶようになった、というものです。
時は平安時代、源経基(みなもとのつねもと)の寵愛を受けていた紅葉。経基の正室となるため、妖術を使った紅葉は正体を見破られ、戸隠山に追放されてしまいます。
やがて、山を降りては村を荒らす食人鬼となり、紅葉は鬼女と呼ばれるように。朝廷は、平維茂(たいらのこれもち)に鬼女退治を命じます。
維茂が戸隠山に向かうと、美しい女たちが紅葉の下で宴をひらいていました。維茂は女に誘われるまま酒宴に加わり、いつしか眠ってしまいます。この女たちこそ、鬼女紅葉とその手下だったのです。
一度は罠にはまってしまった維茂でしたが、夢枕に立った老僧から降魔の剣(ごうまのけん)を授かり、その神剣を使って紅葉を退治しました。
そして、鬼女がいなくなり平和が戻った村は、鬼無里と呼ばれるようになったのでした。
【紅葉(モミジ)】信州戸隠(とがくし)、鬼無里(きなさ・現、長野県長野市)、別所温泉に伝わる鬼女にまつわる伝説で、紅葉は女主人公の名前である。紅葉の討伐に勅命を承けた平維茂が紅葉と戦い討ち捕る話として伝えられている。 pic.twitter.com/aCs5wF5h79
— 妖怪カルテ (@yokaikarte) 2017年3月3日
この伝説に登場する鬼女の紅葉を狩ることが、紅葉狩りという言葉の由来になったというこちらの説。優雅に紅葉を愛でていた平安貴族の話に比べて、かなり怖いですよね。
この鬼女紅葉の伝説は、現代でも能や歌舞伎、神楽の演目になっていたり、紅葉狩りの舞台となった戸隠山では、毎年紅葉の美しい季節に、鬼女紅葉祭りが開催されているそうです。
おわりに
紅葉狩りはなぜ「狩り」というのか・・
その由来には諸説あるようですが、残念ながらどれも定かではありません。
個人的には、いまでも伝説が残る鬼女紅葉伝説が気になりますが、狩猟をしない貴族階級があらわれ、草花や自然を愛でることを「狩り」と表現したという説が有力とされています。
いずれにしても、自然の美しさを観賞し、日本の四季の素晴らしさを味わえる紅葉狩り。
1200年も前から続いている日本の秋の楽しみ方を、これからも後世に残していきたいですね。